行ってきました。今回は福島ではなく、宮城県石巻市へ「ガレキ撤去」のボランティアです。
最初に今回の感想を言うと、体を使って人の役に立つということは、とっても楽しくて、帰りのバスから見えるガレキさえも美しく見える、そして、また絶対に来たい!と思える、そんな体験でした。
バスを貸し切り、群星館となりの焼き鳥やさん「博多や」の宇都くんの呼びかけで集まった、高円寺ゆかりの飲兵衛たち総勢32名!(女子7名)
その名も「TKV32」東京・高円寺・ボランティア隊!!わっ若い。
5月5日早朝12時半に桃太郎寿司の前に集合して、ボランティア保険込みの参加費5000円を払いコンビニで食料などを調達、軽い打ち合わせの後、いざ出発!!1時間ごとにサービスエリアで休憩を取りながら、途中郡山で合流の女性をピックアップして、7時半ごろに、集合地点である石巻専修大学へ着きました。
距離的な感覚は、福島までの倍くらい。そういえば前日の夜は、前回、福島で知り合った仲間が「抱瓶」に来てくれて、ギリギリまで一緒に飲んだので、バス中で眠れるかな?と思ったけど、やはりそんな日は、気持ち的にも高揚していて眠れない。まるで運動会前夜みたい。
石巻専修大学のキャンパスには、150ぐらいのボランティアのテントが張ってあって、すでに「ピースボート」の倉庫前にはざっと2~300名以上の若者が集合し、テキパキと準備体操や準備をしている。
個人で参加している人も多く、車で来ている人達、外国の人や、、サバイバルのプロ張りな山登家風、「一人自衛隊」みたいな重装備、全身刺青なんて人までさまざま。
この人達はいったい何処から集まって、何時からここにいるんだろう?これをまとめるのも大変な仕事だな、なんて事を考えていると「おはよーございまーす!」と大きな声で通りすぎる、中心スタッフさんも元気が良い。
大学内はとてもキレイだしこんなにも明るい雰囲気。しかしよく見ると、そこかしこに震災に関する、張り紙や応援メッセージの書かれた日の丸、地図などが一杯。本物の自衛隊とも連携しているらしい。
ボランティアの受付の後、実際に何処で何をするのか?や、必要な装備、防塵マスク・ゴーグル・ゴム手袋・長靴・ヘルメット・スコップ・一輪車などを借りる手続きには2時間ほど掛かった。(ほとんどの物は現地で借りる事ができました)
そこで、もう一人偶然にもボランティアで先に入っていた、知り合いと合流し一緒のバスで現地に向う事に。(これで32名)
出発前スタッフさんからの説明では、石巻でも18メートル以上の津波で、被害の大きかった雄勝町の小学校へ向ってほしいとの事。被災の日から一週間は連絡も付かず孤立していた場所で手付かずの状態。地盤沈下で1メートルも下がり大潮の満潮時には水没してしまう所。
余震の際は何よりもいち早く高い場所へ逃げる事や、クギやバイ菌にも十分気をつけてください等の注意を受けました。「シャレになりませんから」と言った表情はとても真剣な眼差しで、背筋がびっとする。実際の作業は現地の漁師さんに聞いて手伝って欲しい等の説明を受け出発。
道に迷いながらも着いた小学校から、さらにやっとガレキをよせて出来た悪路を揺られる事40分ほど。小さな「立浜」という漁村に着いたのは11時前になっていた。
さぁ!始めるか!地元の漁師さんと消防団員のおじさんから、神社脇の細道を車が通れるように、ガレキをどかしたい。大事な消防ホースが津波で絡まっているので、ガレキから引っ張り出して、一箇所にまとめたい。等の要望があり、2班に分かれて作業する事になりました。
僕達の担当は消防ホースの方で、少人数でも出来るので6名ほどで、ガレキや倒れた電柱の下、屋根の無くなった小屋の天辺からホースをたぐりよせて専用の巻上げ機できれいに丸めました。
簡単だと思っていた作業も10数本のホースは、何故こんなにも複雑に絡まるのだろうと言うくらいに、魚の網や電線、鉄骨、木片などに絡み付いて、解くのには相当の体力と知力を試されました。例えると学校の綱引きしながら知恵の輪を解いていく感じで一時間ちょっとかかりました。
すると・・もう昼過ぎなので、お弁当を食べるなら、何も無いけど我が家へ上がって行きなさいと消防のおじさんの家へ、消防車で向いました。エヘヘ・・消防車乗るのハジメテ♪。
そこは、村でも小高い一番上の方にある家だけど、ここでもやはり一階の軒下まで津波が来て、2階にあるもの以外はすべてゴミになっていました。こんな村を見渡せるような場所まで水が上がって来たとすれば、その下の家はすべて飲み込まれてしまったのは、すぐに想像が付きました。
腐った畳などを庭に出して、湧き水(とても美味かった!)と最近やっと来た電気で、細々と暮しているのに、仏壇と位牌だけはなんとか拾って綺麗しているのが印象的でした。小さなストーブでお湯を沸かして、コーヒーを入れてくれました。
コンビニで買って持ってきたおにぎりと、地元のお新香に温かいコーヒー。もう一班の人達には悪いなと思いながらも、ココでの被害、当時の状況などのお話を聞きました。(後で聞いたけどアチラはウニをご馳走になったらしい)
この村では8名の犠牲者が出て、その中の数人は津波から逃れた後も、凍死でなくなった人がいるくらい悲惨だった。それでも消防団員であるおじさんは、開通していないガレキの中をかき分けて町の中心まで行っていた為に、自分の家などは後回しで作業に追われていた。道が開通しても、今度はガゾリンが無く孤立状態。寒さをガレキを燃やしてしのいだそうだ。
この辺は、ホタテやカキの養殖が盛んで、カレイも身が厚くてとても美味しいんだ。と話した壁の上の飾ってある何枚もの船の写真。聞くと船を3隻持っていたがすべて流されてしまったらしい。
やはり、今の現場を誰かに聞いてもらいたい。誰かと話す事で少しでも気が楽になり、若者と接する事でまた生きる気力が出る。そんな気持ちがなんとなくと伝わって来て、さて!午後の作業は?と、話を中断するのが少し心傷みました
すると、本当に申し訳なさそうに、手付かずだった自宅のゴミを一時集積場所までお願いしたい。との事だったので、お安い御用!と引き受けました。
軽トラック満載で10なん往復分。あと数往復、小一時間あればすべて終了という時に、帰りの時間になってしまい泣く泣く断念しました。
しかし家一件分のゴミであの量ならば、この村全体でいったいどの位の量になるんだろう?そして東北全体では?ハテシナイ戦いのように思えました。
それでも、喜んでくれたおじさん(名前を聞くのも忘れていました)や奥さん娘さんの笑顔を見ると、心地よい疲労もスッと癒されるようで、たったの一軒かもしれないけど、体を使った充実感がありました。
東京にいるもう一人の娘さんは「阿佐ヶ谷」という場所に住んでいて、今度東京に行く機会には必ず「高円寺」に寄るから、あなた達もいつでも遊びにいらっしゃい。
今回の6名、博多や、こにたん、抱瓶、ダーツバーFreedom(2名)、カクヤス(娘の同僚でした)の連絡先を教えて、と硬い握手を交わし代わりに流れずに生き残ったお酒4本(高級酒)をもらい、また数年後、美味しいカキが出来た頃に伺います!いつまでも手を振るおじさんや漁師さんたちに分かれを告げました。
そして5時過ぎ、また石巻専修大学へ装備品をキレイに洗ってお返しました。(合流した彼はまだしばらくココで頑張るそうです)
いやぁ皆さん、本当にお疲れ様でした!!そしてありがとう!さっきまで一緒に同じ汗を流した仲のみんなは、何か一つの連帯感みたいな感じで盛り上がり、打ち解けついでに、もしかしてやっぱり俺が最年長かな?とちょっと気になり、一番年の近そうな人に聞いてみるとなんと30才。わちゃーぁ!こりゃ失礼しました!!ホントゴメンなさい。そんなつもりじゃ・・・。
トホホの45才は、適度な疲労と睡眠不足にお酒。これで気持ちよく帰りのバスは、ぐっすり・・・。な~んてムリムリ♪
「若さと元気」が売りのボランティア「もっこりたけのこ号」は、これまた正しく高円寺らしい大宴会状態になっていましたとさ。めでたしめでたし♪
つづく・・・